グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ


OISCAブログ

  1. ホーム
  2.  >  OISCAブログ
  3.  >  【専門学校】ウクライナ避難学生~新聞掲載~

【専門学校】ウクライナ避難学生~新聞掲載~


2025年11月19日(水)
併設する「専門学校オイスカ・アグリ・カレッジ」では、ウクライナ避難民の支援の一環として、2022年7月からウクライナの避難学生を受け入れていました。その1人であるポカシチェヴスカ・ヴィーラさんが描いた絵が、浜松市の展覧会に出展され、11月9日(日)の中日新聞に掲載されたので紹介します。

ヴィーラさんは当時、オイスカ浜松国際高等学校で「平和」について講演してくださいました。また、チャリティーコンサートや募金活動、茶道体験などを通じ、交流を深めてきました。その当時の様子を、ブログで紹介しています。
 <チャリティーコンサートや募金活動
 <茶道体験>

中日新聞 11月9日(日)掲載

戦争がなければ 私は 家族はー
祖国の現実 絵で感じて
浜松に避難 ウクライナ女性制作


 青空の下、火の手が上がる麦畑と、娘の手を引いて逃げようとする母親。「世界の終わり」と題された1枚の絵が、浜松市で先月開かれた展覧会場に並んだ。描いたのは、戦火を逃れ、 市内で避難生活を送る20代のウクライナ人女性。ロシアによる全面侵攻開始から3年8カ月。平穏な暮らしを奪われた祖国の人々に思いをはせてほしいと願っている。(服部剛士)

 「戦争がなければ私は日本に来ることはなかったし、描いた親子も、きっと平和に暮らしていたはずなのに」。絵の作者、ポカシチェヴスカ・ヴィーラさんは語る。
 ウクライナでは首都キーウにある銀行のコールセンターで働いていた。今回、筆を執ったのは、来日後に市内の美術グループの依頼でモデルを務めた際、絵を描くのが好きと伝えたところ、グループの展覧会への出品を勧められたため。
 ウクライナは「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれるほど小麦や大麦の栽培が盛ん。青空と麦畑は国旗のモチーフ。そんな原風景が戦場になっている現実を嘆きながら描いたという。
 民族衣装姿の親子は、戦禍によって運命を変えられた全てのウクライナ人を表している。麦畑の向こうには丘や山を望める場所が多いが、描かなかった。「戦争の火のせいで見えなくなっているから」
 2022年2月24日、ロシアによる全面侵攻が始まり、ヴィーラさんの生活は一変した。何度もミサイルが飛来。志願して軍隊に入る知人も出始めた。
 「身の安全を確保しないといけない」。大学で日本文学を専攻し、日本に親しみもあり、日本に逃れる決断をした。同7月に来日。オイスカ開発教育専門学校 (浜松市中央区)で2年間、日本語を習った。
 現在はJR浜松駅近くの喫茶店でアルバイトしながら、市内の職業訓練校でウェブデザインを学ぶ。「ウクライナ人だと告げると、皆優しく対応してくれる。とてもありがたい」。言葉の壁を乗り越え、穏やかに暮らせる幸せをかみしめている。
 今年4月、3年ぶりに故郷に帰った。目の当たりにしたのは破壊し尽くされた街の姿。「ビルの天井がなく、窓は衝撃波で全て割れていた。とても悲しかった」。再会した友人とは、思い出話もそこそこに、戦争が話題の中心になった。
 ロシアのミサイルは今もウクライナを襲い続ける。米国のトランプ大統領は停戦の仲介に動くが、 和平への道筋は見えない。仮に停戦が実現しても、「いつロシアが約束を破って攻撃してくるか分からない。ウクライナ人は皆、不安な気持ちが終わらない」とヴィーラさんは代弁する。
 「近くに怖い国があるというだけで、安心な暮らしができない」。終戦後も日本に残ることを希望している。今は毎日、「本当の平和の実現」を祈っている。

キーウの母へ「今夜、眠れますように」
 ヴィーラさんの家族はウクライナに残っている。母のヴィクトリアさんとは毎日、電話やメッセージアプリでやりとりしている。 
 ヴィクトリアさん「今日、朝の4時まで眠れなかったの」「どこに(ミサイルが)飛んでいくのか追っていたの」「全てキーウから飛び去った時、ようやく眠れた」
 ヴィーラさん「今夜は眠れますように」
 今年6月のある日のチャットの話題は、首都上空を飛び交ったミサイル。「電話するといつも攻撃の話題になる。とても心配」とヴィーラさんは不安を募らせる。
 遠く離れた家族や同胞のことは、いつも気にかけている。「ウクライナにいる人たちは、毎日恐怖の中で生きていることを知ってほしい」